|
聖夜
昨晩からしんしんと降り続けた雪は、今日の夕方ほどになってどこもかしこも真っ白にしてからようやく降り止んだ。
歩きづらくなった道をそれでも行き交う人々は多く、どこか浮かれた表情をしているのは決して子供ばかりではない。
もちろん、雪に足を取られて歩きづらいことへの文句も中々に多かったが。
そんな人々を眼下にぼんやりと収めながら蘇芳は冷たい酒を口に含んだ。
ほのかな甘さと苦さとが喉を滑り落ちていく。胃に落ちたそれを冷たいと感じたか、熱いと感じたか。
何も表情を変えないままにふと部屋の中へと目を向ければ、外などよりよほど暗く見通すことなどまるで出来ない。
電気も暖房も着けられていない部屋の中は外の明るさに照らされるここよりよほど寒いように思えた。
なぜかどうにも部屋に居難くてこうして冷たい風の吹くベランダでイルミネーションに飾られた街を眺めている。
どれほどここにいるだろう。グラスに入れた氷は、溶かすだけの熱をとうに失った手の中で揺らせば軽い音を立てた。
改めて眼下を行き交う人々に目を向けてみても、顔ぶれこそ変わっているのだろうが相変わらず雰囲気によっているような様子は変わらなくて。
どちらにしても時間の経過を感じられず結局考えることを諦めた。そもそもここに出た時間など気に留めてなどいなかったのだから計りようがない。
冷えた指先には本当に力が入っているのかどうか実感がない。この手を離したのなら落ちたグラスはどうなるだろう。
ただ形を失って中身をぶちまけるのか。それとも偶然にも下を通った誰かに悲劇を起こすんだろうか。
この下は道ではなくてこのマンションの庭なので確立は随分と低いだろうがもしかしたら奇跡なんてものがあるかもしれない。
奇跡というのが悪い方向にも使われる言葉なら。
ぐるぐるとつまらないことばかり考えている自分をらしくないと笑うことも出来ない。
拡散しようとする意識を無理矢理に練って固めて、頭の中にぎゅうぎゅうと詰め込まれたようでいやに落ち着かない気分なのだ。
窓に寄りかかろうと体勢を変えたのと、軽い音を立てて窓が開かれるのとはほぼ同時だった。
蘇芳の体を支えるはずの窓は反対側へと寄せられて、けれどそのまま後へ倒れこむとはなかった。
柔らかく抱きとめられたことに気づいて見上げれば、下手な女よりもよほど整った顔がある。
「あー・・・れ?」
「なんです。」
「今日、帰んないんじゃなかったっけ?」
たしか世話になっていた家でホームパーティーがあると言っていたはずだ。
自分も一緒に行くかと誘われはしたが断った。ちょっと知り合い、程度で行くのもどうかという気がしたので。
そう言ったのなら深々とした溜息をつかれる。
「家で可愛げのないタヌキが一人寂しくいるとわかっているのに長居出来るはずがないでしょう。」
「・・・は?」
垂れ目だからタヌキとある意味恐ろしいまでに安易な決め付け方でおかしな愛称をつけられたのは高校時代の話だ。
大学に入り、何故か一緒に住むようになった後は名前で呼ばれるようになった。
そうでないのはいやに意地の悪い笑い方をしたときか、まったくの逆のときかだけ。
だから今の言葉は間違いなく自分のことを指しているんだろう。だが。
「何でそうなるんだ。」
呆れた声が出る。どうもこの男の考え方はわからない。
確かにぼーっとしてはいたが別に一人寂しくとか言われるようなことは・・・・・・寂しい?
あれ?っと思う。そうして何度もその言葉を繰り返す。
寂しい。寂しい?何に?何が?
考えている間にひょいと軽々持ち上げられて部屋の中へと連れて行かれる。
帰ってきてすぐにつけていたのか暖房はただの箱でなくきちんと暖房としての役割を果たしている。
電気ももちろんつけられて、明るくて暖かい、当たり前の部屋だ。
静蘭がソファに座る。蘇芳を抱き上げたままで。
その結果として横抱き状態で腕に収められた、いやに顔が近い体勢で静蘭の膝の上に座ることになる。
だが蘇芳は自分の考えにすっかりとはまっていた。
寂しい、と思ったつもりはないがそういえば少しだけ、物足りないような気分がしていた。それは。
「あぁ、なるほど。」
ぽつりと呟いた言葉は当然のことながら静蘭の耳にも届く。
「思考の迷宮は抜けられましたか。」
「なんだそれ?」
「今まさに君がはまっていたでしょう。たまには頭を使うのも大切ですけどね。・・・で、結果は出ましたか。」
「そーね・・・出ちゃった感じ。」
答えが出た、と言いながらもどこか不満そうというか困ったような顔をしている。
「なんですか。」
「あー、なんかね。思ってたよりアンタのこと好きみたい?」
「・・・どうしてそこで疑問系なんです。」
「すごい意外。そうなんだ?って感じと何でって感じで。」
そこまで言って呆れた顔で見られていることにようやく気づいた。
「なに?」
「思っていた以上に君の頭が働いていなかったことに驚いているんですよ。?聞きますけどね。何で君は私とここでこうして一緒に暮らしているんですか。」
「あんたが誘ったんじゃなかったっけ?」
「誘われたら誰にでもついていくなんてどこの頭の足りない子供ですか。」
「なんかいつの間にかどんどん話し進んでなかったか?」
「君が本当にいやだと思っていたのなら無理矢理になんてしたはずないでしょう。」
「・・・そーか?」
そう言われても微妙に信じきれないが、そのときのことを思い出してみる。
「あー。特に考えてなかった、かも。」
深々とした溜息をつかれた。
ここにこうして暮らすようになってすでに1年近い。
だが正直言って蘇芳は自分たちの関係、とでも言おうか。それがなんであるのかいまいちわからないと思っていた。
ただの同居人、というには少しばかり無理があるとはさすがにわかっていた。はっきり言って体の関係はあるのだから。
だからといって恋人同士だなんてことを思ったことはなかった。
相手をどう思っているかと問われたなら、腹黒怪人とか何とか、そんな感じだ。
だからこうして改めて感情としてどう思っているか、ということを考えてみて、自分が思っていたよりも結構好きだったらしいという結果に自分でちょっと驚いた。
ん?
ふと気づいて静蘭を見上げる。
「俺が今気づいたのにアンタはとっくに知ってたーとか言っちゃうわけ?」
「・・・まさか今更そんなことに気づいたとは思ってもみませんでしたよ。」
何度目か知れない溜息。
「・・・まぁ、自分のことだからわかんないこともあるって言うし・・・。」
「微妙に真理ですけどね。まぁ、自分から気づいただけいいとしましょう。」
そういって笑った。
「ようやく自覚を持ってもらえたということで。」
するっと腕が回されたと思ったら、いつの間にか視界が変わり天井を見上げている。
「お、おかしいだろ。この流れは。」
近づいてくる体を両手で突っぱねているが相変わらず効果はなく唇が重ねられる。
それは触れるだけで離れ、代わりに何度も繰り返される。どうにか逃げようとしていた体から力が抜けるとようやく少しだけ距離がとられた。
「即物的すぎるっていうのもどうかと思うけど。」
「私も所詮男ですからね。」
笑ってもう一度口付けられる。そして続けられた言葉に視線を上げる。
「改めて、とはいえ聖夜に思いが通じると言うのもまぁ、悪くないでしょう。」
その言葉に少女趣味、と呟いて、蘇芳は静蘭の背に腕を回した。
執筆者 楝希雨さま
▲back to top |