清らなる旋律




教会の入り口、重い木の扉を開けると目に飛び込んでくるのは十字架に貼り付けにされたイエスキリストと、聖母である赤子を抱いたマリア像。
木製の椅子が連なり、そこには様々な人が椅子に座り祈りを捧げていた。

12月25日
イエス・キリストの生誕の日。
賢者の予言の為に籍のある場所へと戻らねばならなくなった父ヨセフと母マリア。
処女受胎でその腹には既に子どもが臨月を迎えようとしていた。宿として馬小屋借り受けることが出来た二人。
マリアはそこでイエス・キリストを産んだ。

彼はユダヤ人の王として生まれたのか。宗教に詳しくない自分には理解も出来ない話だが、彼は多くの人々と出会い救い、裏切られ、殺され、復活した。
今世界に多くの人が信仰しているキリスト教の始まりは彼だ。
信仰的なキリスト教徒はここに来てその祝福を祈るのだろう。

蘇芳は入り口に一番近い席に座ると人々を後ろから見回す。
信者ではない自分がここにいるのもおかしい気がしたが、今日はここにいたい気分だった。
世俗的な、今日がどのような日であるかを気に留めることも無く、恋人と一緒にいることを喜ぶ人の波に入ることが躊躇われた。



賛美歌が耳に入り込んでくる
もろびとこぞりて、きよしこの夜、グロリア
美しい声が教会の中に響き渡る。
蝋燭が教会の壁に灯り電気の変わりに柔らかい光を人々に与える。



扉が開いたらしく、冷気が中に入り込んでくる。
前を向いていた蘇芳は誰かの為に首を動かすという行動すらも面倒だと思いそのまま前を向く。
人々はそれぞれの思いのままに行動する。
そして、祈りを捧げてキリストの齎す安寧に身を任せるのだろう。


「ここにいたんですね」


いつの間にか隣には見知った人間がいた。
先ほど開いた扉。開けたのはこの男だったのか。
いつも絶えない笑みを浮かべるその男は、仄かな明かりの中でも分かるくらいに綺麗な顔をしている。
男に綺麗という言葉を使うのは間違えているかもしれないが、綺麗だと思った。

それ以上でもそれ以下でもない。
純粋に綺麗な人を見ることは蘇芳は嫌いでは無かった。
もう少しその男の性格がひね曲がっていなければ問題は無いのに、と漠然と思いながらその顔をじっと眺める。

「どうしましたか?」


見られることに慣れているのか、動揺することも無く男―静蘭は更に笑みを深くしながら、蘇芳の頭を撫でる。
子ども扱いされることは別に嫌いではない。けれども、今日は無性に恥ずかしさを感じた。だから思わず顔を背けてしまったのかもしれない。


「なんでもない」


再び前を向くと段々と人が移動していくことがわかった。
そろそろミサも終了の時間なのだろう。
その後でも祈りの時間はある。
今日はキリスト生誕の聖なる日であり、教会のほうも遅くまで門戸を開いている。



「貴方の手は暖かいですね」

投げ出した手に触れる冷たい手に一瞬体が生理的に反応する。
嫌悪とかではなく、純粋に冷たさへの反応。
振り払うことはしない。大きな包み込む手が好きだから。
何よりもこの男が大好きだから。

蘇芳は重ねられた手にぎゅっと力をこめる。


「帰ろう。家にご飯作ってる」
「そうですか。じゃあ、帰りましょうか」


二人で住んでいる部屋で一人待つことはさびしかった。
一人でいることに慣れてないためか、クリスマスというこの日に外に出てみたものの、面白くも無かった。
だから滅多にこない教会に蘇芳は来てしまった。


扉から出ようとしたとき耳に入ったパイプオルガンの澄んだ音。
本当は神様に懺悔しなければならないのだろう、同じ性を持つ人を好きになったことを。
でも、神に贖罪しても別れる事なんて出来ないんだよ、愛してしまったから。



帰宅して玄関で交わした口付けの最中に蘇芳は幸せと一緒に、このまま一緒に溶けてしまいと思った。
それを静蘭に言うことはなかったけれども、そう思ってしまった。




---fin













執筆者 宮生さま





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